2015.05.23 |
7月25日(土)、26日(日) 「イシフク物語」公演@ブディストホール |
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2014.08.05 |
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2014.07.08 |
墓石デザインの画像を更新しました。 |
2014.04.07 |
石材製品を更新しました。 |
2014.02.26 |
毎日新聞に掲載されました。 |
やわらかい、石屋
やわらかい石屋のご縁
昭和31年9月
近隣の茶畑が色合いを深くする季節。静岡市にある石材店、株式会社イシフクに男性が一人訪れる。
「イシフクさんってこちらですよね?」
「いらっしゃいませ。どうぞ、お掛けになってください。」
対応するのは当時の社長である望月松二。ゆっくりと椅子に腰を落ち着けたその男性、
「墓、・・・あの、お墓を建てたいのですが。あの、イシフクさんがいいですよって、知人が。」
「ああ、そうですか。それはありがとうございます。私、イシフクの望月ともうします。」
名刺を渡し、挨拶をする松二。
「あ、お世話になります。私、富永と申します。」
松二は、はっとした。富永という名前。どこかで聞いたことのある名前。
松二はゆっくりと、尋ねてみた。
「富永さんって、あなた、静岡の方かな?」
ゆっくりと「偶然」という歯車が回りだした。
当時イシフクは創業100年を迎える静岡の老舗石材店だ。
初代、望月福太郎。二代目が望月松二。三代目威男。そして現社長の秀康は四代目である。二代目の望月松二18歳のころ。
1923年(大小12年)9月1日 マグニチュード7.9という未曽有の大地震が日本を襲った。関東大震災である。
静岡も大きな被害を受けた。
18歳にして静岡市北部青年団の団長を務めていた松二は、市内の安西通りから北の青年団員を静岡駅に集めた。
13歳から26歳の石工、左官、とび職、瓦屋、土方を中心に組織されていた当時の青年団員、松二の呼びかけで各々手に道具を持っている。
「今から俺たちで、震災支援に向かう。いいか、怪我だけはするな。」
松二の言葉に、青年団員たちの顔が精悍に引き締まる。
総勢200人の職人を引き連れ
総勢200人の職人を引き連れ、駅の改札で「震災信仰の支援に行く。協力してほしい。」と駅員に申し入れる松二。駅員は「無賃で乗せることはできない」と答える。しかしながら200人の職人集団を前に、さすがに駅員も恐れを感じる。慌てて駅長に報告にゆく。駅長室から
「駅長の富永だ。」
先ほどの駅員を指し、
「この職員から説明があった通りだ。無料で乗せるわけにはいかない。」
にらみ合う双方。しばしの静寂。たまりかねて口を開いたのは駅長だった
「分かったら、切符を用意してくれ。」
「・・・・・・。」じっと黙っている松二。
次の瞬間だった。
「お前ら!飛び乗れ!」松井の声が響く。
わっと客車に飛び乗る職人達。
「おいっ!運転手!汽車だしちまえっ!」
不意をつかれ、あっけにとられる駅長。静岡の職人軍団を載せた汽車の車輪が、力強く線路に音を刻んだ。
東京はもちろん、神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨城にまで被害が及んだ未曾有の大災害、関東大震災。被災者340万4898人、死者9万9331人。
松二率いる青年団員は、持てる力、技術を最後まで振り絞った。大活躍であったのは間違いない。その証拠に、帰り道では多くの人々に賞賛、感謝された。もちろん、帰りの運賃は「無料」であった。
そして、静岡駅で最敬礼をして彼らを迎えた一人の駅長の姿があった。「富永である」。
縁とはとても数奇なものである。